清瀬いんどう歯科|清瀬市松山の歯医者・歯科|ブログ

当院では患者様が5年後・10年後、その先も自分の歯でお食事などを楽しめるように正しい歯磨きの方法や個人に合わせた治療内容で健康なお口をサポートいたします。

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🍀お歯黒

こんにちは清瀬いんどう歯科の田中です(^.^)

キラッと輝く白い歯はみんなの憧れ…✨

しかし、平安時代や江戸時代は歯を真っ黒に染めた

「お歯黒」がレディが身だしなみでした❕

現代の白く見せるホワイトニングのようなもので、

当時は漆黒であることが美しいとされていました😊

そして、お歯黒の成分である「タンニン」には

歯を守る効果があった為、結果的に虫歯予防に繋がっていたそうです😈

(※タンニンはお茶や柿の実などに含まれる渋い味の成分のこと)

このお歯黒は、紀元前からあったと言われていて、

「聖徳太子」もお歯黒をしていたそうです👂🏻

奈良、平安、鎌倉、室町、戦国そして江戸時代へとお歯黒の習慣は続き、

明治政府の近代化政策により「お歯黒禁止令」が出され、

千年近く続いたこの習慣は徐々にその姿を消していきました💭

【時代ごとのお歯黒】

*平安時代

貴族階級の間に広がり、男女ともに17~18歳で

歯を黒く染め、成人であることを表していました。

*室町時代

時代と共に染め始める年齢が低くなり、

13~14歳で歯を黒く染めていました。

*戦国時代

武将の娘は早く政略結婚させるために、

8歳で歯を黒く染めていたといいます。

今川義元の肖像画などを見ると、成人男子でも

お歯黒をしていたことがわかります。

*江戸時代

江戸時代では既婚者のしるしとして歯を染めていましたが、

他にも歯が黒く輝いている女性は美人とされていました⭐

また、遊女・芸妓の化粧として定着し、農村部でも冠婚葬祭などの

特別な行事ではお歯黒をつけたそうです🦷

【お歯黒のやり方】

お歯黒は「鉄漿水(かねみず)」と「五倍子粉(ふしのこ)」

というものを交互に塗ることで歯を黒く染めたそうです。

鉄漿水はお酢の中にお酒や米のとぎ汁、釘などの鉄くずを溶かした液体です。

五倍子粉はヌルデというウルシ科の植物にできた虫こぶを乾燥させて粉にしたものです。

お歯黒を塗る時、液を温めるとくさい臭いがするため、

既婚女性は朝、旦那さんが起きる前に塗っていたそうですよ🌞

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